廃村(限界集落)
2009年 09月 13日
肌寒い土曜日、新潟県の南端にある県境の集落を訪れた。
この集落は深い山あいにあり、平家の落人伝説のある山村である。
静かで穏やかな人達が、永い間肩を寄せ合い助け合って暮らしてきた。
わずかここ数十年の間に、暮らしの営みが大きく変えられ、集落から人の姿が消えていった。
農地は放棄され、団欒のあった家々からぬくもりが消え、主のいない抜け殻があちこちに
取り残されていった
嘗て仏壇に供えられていただろう季節の花々も今は、しょざい無げに季節を送る
多くの人が山を去り、再び戻ることは無い
源平時代から続くとされた歴史の村は、時の農業政策の思惑から消えていこうとしている。
何が大切で、何が大切ではないのか。何を守って、何を捨てていこうとするのか。
歴史の大きなうねりにもまれ、この村落は間もなく消えていく。
人が過ちを通して成長していくものならば、このかけがえの無い集落・・平丸(ひらまる)・・・が
地図から忘れられようとも、耐えねばならないのだろう。
過ちの中から、何を知るのだろう。幸せな村が消えていく大きな代償を支払って得るものが、 必ずや
本当の意味での人の幸せにより近づくものであって欲しいし
またこの過ちから生かされるものが50年後になるのか百年後になるのかは分からないが、その時
この集落で生きていた人達が、理不尽な思いを残しながら寂しくこの集落を後にしたことを
そしてその辛さを背負いながらも生きていったことを想い起こして欲しい。
また一軒、主のいなくなった家がひっそりと、虫の音の中に佇んでいた。
by nemunokaze
| 2009-09-13 22:48
| 時事のことなぞ
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